

愛着というかたち
椅子は、最小の建築だと言われている。
ひとを包み、ひとを支え、ひとつの空間を生み出す。
けれど建築とちがうのは、それを連れて歩けること。
家は移せなくても、椅子はどこへでも運べる。
異なる部屋に、同じ「座る場所」を用意できる。
椅子とは、安心を確かめられる、最小の住まいなのだ。
木の椅子は、時間と共に変化する。
触れるたびに艶を増し、色を深め、 使う人の人生を映し返すように育っていく。
その温もりは、手のひらに、背中に、 静かに馴染んでゆく。
いまの時代はシンプルさを好む。
けれど効率やコストが奪ったのは、手の時間、思考の時間。
本来デザインは、人の経験と感性を宿す営みだった。
その温かみこそ、椅子に息づいている。
椅子はただの道具ではない。
ひとの体を受け入れると同時に、
彫刻のように空間を形づくる。
座ることと、眺めること。
日常と芸術、その両方を静かに引き受けている。
好きな椅子があるだけで、部屋は姿を変える。
退屈しない空間、心をほどく空間。
空間そのものを愛せるのは、
そこに「好き」があるからだ。


木の椅子は、時間と共に変化する。
触れるたびに艶を増し、
色を深め、
使う人の人生を映し返すように育っていく。
その温もりは、
手のひらに、
背中に、
静かに馴染んでゆく。

いまの時代はシンプルさを好む。
けれど効率やコストが奪ったのは、
手の時間、思考の時間。
本来デザインは、人の経験と感性を宿す営みだった。
その温かみこそ、椅子に息づいている。

座ることは、
呼吸のように当たり前で、
忘れられやすい。
けれど人生の長い時間は、椅子の上で過ぎてゆく。
その時間を意識し、豊かにできたなら、
人生もまた豊かになるだろう。

ファッションがひとを映すように、
椅子もまた、ひとを映す。
身体をあずけ、一人の空間をつくる。
その選択は、
自分を知るための道しるべである。
愛着とともに育つ椅子は、
ただの家具ではなく「わたし」を映す存在になる。
一度手にすれば、生涯をともにできる。
そこにこそ、大きな価値と歓びがある。

それが「tiramiの椅子」の物語である。


